今日は少し小難しいタイトル。私が常日頃意識的にも無意識的にも行っているこのについて述べてみようと思う。特に今日述べる内容は、他者(最近だとJAXAスタッフや研究者)と会話するときに焦点を当てている。
まず序論:思考の根源的サイクルとしての帰納と演繹
日常生活は、単なる習慣や無意識の行動の連鎖ではない。深く洞察すれば、そこには絶えず帰納と演繹という、哲学的な思考の往復運動が息づいている。これは、我々が世界を認識し、理解し、そしてそれに基づいて行動するための根源的な営みである。この思考のサイクルは、一人で物事を考える際だけでなく、特に他者との対話という複雑な状況において、その真価を発揮する。円滑なコミュニケーションを築き、相手を深く理解する上で、この往復運動は不可欠な役割を担っていると私は感じている。
ここからが本論:対話における帰納と演繹の機能
対話における帰納:断片から本質への昇華
他者との対話は、情報の断片の連続である。私は、誰かと話す際、相手の言葉遣い、声のトーン、表情、仕草、そして話の展開そのものから、個別の情報を注意深く拾い上げる。例えば、ある者が特定の話題になると言葉を濁したり、表情が曇ったりするのを見るかもしれない。また、別の者は、常に具体的なデータや事例を豊富に交えて説明する傾向があることに気づくであろう。これら個別の観察から、「この者はデリケートな問題を抱えているのかもしれない」「この者は論理的思考を重視するタイプだ」といった、その者の一般的な特性や本質を帰納的に導き出そうとする。これは、過去の人間関係の経験や、心理学的な知識が、この帰納推論を支える土台となる。我々は、限られた個別事例から、より普遍的な傾向やパターンを抽出するのである。
対話における演繹:本質から理解と応答への適用
そして、帰納によって導き出された「一般原則」は、その後の対話における私の理解と応答を演繹的に規定する。もし相手がデリケートな問題を抱えていると推測すれば、「直接的な質問は避け、共感を示す言葉を選ぼう」と考えるであろう(最近だと彼女と別れて間もないM君)。相手が論理的思考を重視するタイプだと判断すれば、「感情論ではなく、具体的な根拠を示して話そう(JAXAの研究員スタッフやその他ある程度かしこい人)」と推論し、自分の言葉選びや説明の構成を調整する。これら具体的な推論は、普遍的な原則から特定の結論を導き出す演繹の典型である。この演繹的な推論は、対話の流れの中で常に検証され、必要に応じて修正される。私の予測が外れ、相手の反応が予想と異なれば、それは新たな個別情報として私の「一般原則」にフィードバックされる。例えば、「この者は一見論理的だが、実は感情的な側面も強い」といった新たな帰納的結論が生まれ、それが次の会話における私の演繹的アプローチを変化させる、という螺旋的な思考が生まれる。
結論:関係性の深化と日常の哲学
対話における帰納と演繹の往復運動は、単に相手を理解するだけでなく、より良い関係性を築く上でも極めて重要である(最近だとJAXAのみなさんやちーちゃん、会社の人で試す)。相手の言葉の裏にある意図や感情を読み解く(帰納)、そしてそれに基づいて適切な対応をする(演繹)ことで、誤解を防ぎ、深い共感を育むことができる。それは、まるで未知の言語を習得していく過程のようである。一つ一つの単語や文法を学び(帰納)、それらを組み合わせて意味のある会話を構築していく(演繹)。
日常は、単なる日々の繰り返しではなく、常に哲学的な探求の場であると考えている。
因みにこの話をちーちゃんにしたら生返事をされて終わった。
そこから帰納的にある程度あの子についての一般原則を導き出して、それに基づいて演繹的に対応している。(ちょっと余談)
最後まで拝読ありがとう。
今週はリモートワークがんばるぞ。
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