Skip to main content

Posts

Showing posts from June, 2025

日常生活で常に意識している帰納と演繹の往復:対話の中での思考

今日は少し小難しいタイトル。私が常日頃意識的にも無意識的にも行っているこのについて述べてみようと思う。特に今日述べる内容は、他者(最近だとJAXAスタッフや研究者)と会話するときに焦点を当てている。 まず序論:思考の根源的サイクルとしての帰納と演繹 日常生活は、単なる習慣や無意識の行動の連鎖ではない。深く洞察すれば、そこには絶えず帰納と演繹という、哲学的な思考の往復運動が息づいている。これは、我々が世界を認識し、理解し、そしてそれに基づいて行動するための根源的な営みである。この思考のサイクルは、一人で物事を考える際だけでなく、特に他者との対話という複雑な状況において、その真価を発揮する。円滑なコミュニケーションを築き、相手を深く理解する上で、この往復運動は不可欠な役割を担っていると私は感じている。 ここからが本論:対話における帰納と演繹の機能 対話における帰納:断片から本質への昇華 他者との対話は、情報の断片の連続である。私は、誰かと話す際、相手の言葉遣い、声のトーン、表情、仕草、そして話の展開そのものから、個別の情報を注意深く拾い上げる。例えば、ある者が特定の話題になると言葉を濁したり、表情が曇ったりするのを見るかもしれない。また、別の者は、常に具体的なデータや事例を豊富に交えて説明する傾向があることに気づくであろう。これら個別の観察から、「この者はデリケートな問題を抱えているのかもしれない」「この者は論理的思考を重視するタイプだ」といった、その者の一般的な特性や本質を帰納的に導き出そうとする。これは、過去の人間関係の経験や、心理学的な知識が、この帰納推論を支える土台となる。我々は、限られた個別事例から、より普遍的な傾向やパターンを抽出するのである。 対話における演繹:本質から理解と応答への適用 そして、帰納によって導き出された「一般原則」は、その後の対話における私の理解と応答を演繹的に規定する。もし相手がデリケートな問題を抱えていると推測すれば、「直接的な質問は避け、共感を示す言葉を選ぼう」と考えるであろう(最近だと彼女と別れて間もないM君)。相手が論理的思考を重視するタイプだと判断すれば、「感情論ではなく、具体的な根拠を示して話そう(JAXAの研究員スタッフやその他ある程度かしこい人)」と推論し、自分の言葉選びや説明の構成を調整する。これら具体的な推論は、普遍...

固定観念を崩してくれてありがとう

 JAXA、子ども👦ありがとう。そして欠員の方(藤くん)にも感謝だね 詳細は伏せるが、とある日にJAXAの展示会で経験した素晴らしい気づきを記そうと思う。 前提として、知識の有無によって同じものがまったく異なる意味を持つことがある。この現象は日常のさまざまな場面で見られるが、特に印象的だったのは、ある子どもが私が持っていた二次元コードを指でなぞっていたときのことだった。 私には、その行動の意図がまったく理解できなかった。ただ無作為に指を動かしているように見えた。しかし、その子が突然「迷路!」と嬉しそうに言った瞬間、私はその視点に気付かされた。私にとってはただの情報を埋め込んだコードだったが、子どもには線が入り組んだ迷路のように映っていたのだ。この発見は、知識や経験が視点を決定し、同じものでもまるで異なるものとして認識されることを示している。 上記のことを境に、その日は仕事中下記のような例えを思いつくだけ考えた。それも記す。 夜空の星を見ても、一般の人は美しいと感じるだけかもしれないが、天文学者はその寿命や構造、宇宙の広がりについて深く考える。また、夕焼けを見て感動する人がいる一方で、気象学者は光の散乱や気候変化の証として分析する。音楽もそうだ。「好きな曲だな」と感じる人がいる一方で、音楽学者はコード進行や音の振動に注目する。まだまだあるけどこのあたりで。(休憩時間が終わる。。。) 人の持つ知識や経験によって世界の見え方は変わる。無知であることは時に新しい発見を生む力にもなる。子どもの目で世界を見ることは、固定観念を崩して新たな視点を開く大切な経験となると改めて痛感した。 今日はこれだけで最高の日だ。 来て良かった。 JAXAありがとう!