ほんとうに久方ぶりの投稿である。
2026年9月末、私は種子島に移住した。
生まれて初めて、自然豊かな離島での生活である。それまでの人生は、東京や大阪といった大都市で構成されていた。電車は頻繁に来て、コンビニは夜中も開いていて(これに関しては社宅付近に24時間のファミマがある笑)、欲しいものはだいたい翌日に手に入った。
便利だった。
便利すぎたのかもしれない。
都会にいると、選択肢が多いことが自由だと感じていた。しかし種子島に来て思うのは、選択肢が少ないことは、必ずしも人生の狭さではない、ということだ。むしろ「何もない」からこそ、自分で何かを始めざるを得ない。そしてその「始める」こと自体が、人生の刺激になる。
読書は、ずっと変わらなかった趣味
私は小さいころから、読書と自然が好きだった。
特に読書は、人生で最も長く続いている趣味だ。本を開けば、いつでも別の世界に行ける。誰かの思想に触れ、知らない時代を訪れ、自分とは違う人生を少しだけ借りることができる。
これはずっと思っていたことだが、
デジタルの時代に生きながら、私の芯にあるのはアナログなのである。
株価は画面で見るが、考えは紙の上で整理する。(前の)仕事はネットワークとクラウドに囲まれていたが、心の居場所は活字の中にあった。投資で未来を予測しようとしながら、読書で過去の人間の知恵に触れた。
一見矛盾しているようで、実は同じことなのかもしれない。
どちらも「まだ見ぬ世界」への興味だからだ。
株式投資は、未来への読書だ
私は昔から、イーロン・マスク関連の株を保有している(過去の投稿を見たらわかるがNVIDIAも)。
SpaceX、Tesla。当時からすれば、かなり「未来」に賭けていた。ロケットが商業的に飛び、電気自動車が当たり前になり、人類が火星を目指す。そんな話は、かつてはSFの領域だった。
けれど投資とは、未来の物語を先に読む行為だと思う。
会社の決算を読み、産業の構造を読み、技術の潮流を読み、世界の政治や戦争の空気を読む。そして、「この未来は実現しそうか」と判断する。それは株式投資であると同時に、一種の読書だ。
ただし、現実の物語は小説より乱暴である。
予想は外れる。ニュースは感情をかき乱す。市場は短期的には不合理に動く。だから投資で大切なのは、目の前の値動きに振り回されないことだ。長い目で物語を読み、自分の確信を持てる部分だけに賭ける。
種子島に来て思うのは、投資も生活も同じだということだ。
短期的な便利さや騒がしさに流されるより、自分が本当に望む未来の物語を、静かに読み続けること。それが大事なのかもしれない。
私は、ゴールに着くと冷める人間だ
ただ、私には弱点めいた性質がある。
読書以外は、かなり飽き性である。悪く言えば、燃え尽き症候群に近い(これは自他共に認めている)。
例えば、前職のネットワーク系の仕事では、業界でも難しいとされる資格を取得した。合格した瞬間、不思議なほど気持ちが冷めた。「これで終わりか」という感覚だった。
努力の過程は好きだった。壁を乗り越える瞬間も好きだった。しかし、頂上に立った途端、風景に興味を失う。
ゴールに到達することで、物語が終わってしまうのだ。
だから私は、おそらく「完成」よりも「挑戦」の中に生きるタイプだ。資格や仕事、投資であっても、すでに答えが出たものより、まだ答えの出ていないものに惹かれる。
挑戦の過程が好きで、ゴール後の虚無感はまるで読書を終えたときの余韻に似ているなあと思う。
そんな私にとって、種子島は面白い場所だ。
離島で暮らすというのは、少し突き放した言い方をすれば、人生の難易度が上がったということだ。
しかし、それは悪いことではない。
むしろ、私のような「挑戦する過程そのものが好きな人間」にとって、種子島は絶妙な遊び場かもしれない。ここには一つの資格で終わる話ではない。集落があり、自然があり、人との付き合い方がある。学ぶべきことは次々に出てくる。
私は、目標に向かって知識を積み、壁を乗り越え、少しずつ理解が深まっていく時間が好きだ。まだ答えが出ていない問いの前で考え、試し、失敗し、また立ち上がる。その過程こそが、生きている実感につながる。
一方で、ゴールに到達した瞬間には、いつも不思議な虚無感が訪れる。
それは、読書に似ている。
幼少期から感じていることだが、面白い本の途中では、ページをめくる手が止まらない。登場人物の運命を知りたいし、物語がどこへ向かうのか気になって仕方がない。けれど、最後のページを読み終えた瞬間、大きな達成感と同時に、静かな喪失感が残る。
そして「もう、この物語はないのだ」と。
資格を取った瞬間に感じるあの冷め方は、きっと同じものだ。挑戦していた間は、私の人生に物語があった。けれど合格証を手にしたとき、その物語は一度、閉じてしまう。
だからこそ、種子島は面白い。
ここでは、一つの物語が終わっても、すぐに次のページが待っている。ガスを学べば電気があり、電気を学べば火薬があり、火薬を学べば自然との付き合い方があり、その先には人との関係がある。
そして、それらをすべて学び終えたとき、私はおそらく一つの答えに行き着くだろう。
種子島移住は、私にとって本当に「刺激を求める旅」だったのか。それとも、都会での生活に飽きた人間が、別の形の物語を探しに来ただけなのか。
それは、まだ分からない。
分からないから、ページをめくる手は止まらない。
分からないから、続けられる。
未来に賭けるということ
株式投資で私は、まだ完成していない未来に賭けてきた。
マスクの会社に投資したときも、確実な未来などなかった。あるのは可能性と、少しの確信、そして「面白そうだ」という感覚だった。
種子島への移住も、どこか似ている。
確実な正解はない。便利さは減った。収入の見通しだけで判断すれば、合理的ではない部分もあるかもしれない。それでも私は、ここでしか味わえない時間と、ここでしか学べないことを選んだ。
お金は手段であり、自由を買うための通行料だ。私はそれをある程度手にした。だから今は、お金そのものではなく、お金で買える「経験」「学び」「刺激」に使いたい。
種子島の空は広い。
読書をしながら、資格を取りながら、時々空を見上げる。
そしてふと思う。
私はいま、人生という一冊の本の、まだ読んでいない章を開いているのだと。
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